奇跡は必ず起きる Guten nacht. ラファエルです。 今日は比較的スピリチュアルでは有名な信義則の一つ、信頼と奇跡についてです。“XAVIER’S SCHOOL FOR THE GIFTED”の話じゃないですよ。 「信頼は現実に奇跡を齎す」。スピリチュアルの大原則の一つで、受講する場合には必ず学ばなければならないテーマの一つであり、私がイェール大学のようにスピリチュアル科目を教養学科の一つにすべきだと主張する最大の根拠でもあります。死についてだけじゃない、生についても積極的に扱うべきだ。 信頼とは何か、ja,ja,すごく難しいテーマです。でもそういう立証不能なことに敢えてメスを入れることがスピリチュアルの専門分野なんです。それを実証科学では扱えないでしょう。でも見方によっては実証科学は理論科学の支柱ともいえる。 今回は、信頼と奇跡という一見して関係なさそうな、でも近い未来、おそらく全人類が必要になる話です。 信頼=この世界を信頼するということ 信頼という言葉の定義については一般的には「見返りを求めずに頼る事」とあります。スピリチュアルにおいて奇跡に関わるテーマとなるのはこの世界(宇宙)に対する信頼です。 普段生きていると、突如問題にぶち当たり、絶望したり怒りに身を任せてしまうことがあり「どうしてこんな世界に生まれてしまったんだろう」と思うことさえあります。世界や周りの人たち、世間を恨みさえする可能性もあります。 心理学的には幼少期の頃の体験から、世界への信頼を失うことがある等と言われていますが、原因がわかったところでじゃあ今から幼少期に戻りましょう、とはあんまりならないでしょう。 ところがスピリチュアルでは戻れます。疑似的ではありますが、初級では瞑想をして、自分が本当はどういう気持ちだったのかを想起したり、頭で考えることをやめて傷ついた心を癒すことに専念し、問題の原因となっている心理的な特徴について多面的に捉える訓練をします。 上級になれば後退催眠を応用したり、透視したりもしますが、理論は同じです。 しかして目標は、この現実世界に対する信頼を取り返すことです。ほとんどの場合は、解決が可能だと考えています。信頼することで、現実世界と自分との間の接点を修復し、現象化のプロセスを癒すことで問題の解消を試みるというアプローチです。 世界に対して信頼できるようになるということは、現実を善く生きることに直線的に通じています。信頼をしているからこそ、健康や心の状態に関心を傾けたり、健康や日々の平穏のために行動することができます。 しかし、その信頼とはどこから来るのでしょうか? 目に見えるものではないので、だれにも提示ができません。その割には自己の行動を変える大きな要因の一つになっています。最終的には自己実現にもつながる大事かつ高度な精神活動でもあります。 スピリチュアルの解釈では「神はみんなの心に宿る」 喧嘩したり、揉めたりする。ほとんどの人はその事象の重さに悲観視し、怒ったりする。 スピリチュアルをやっている人たちもそうなるときはよくあります。けど、一つだけ違う点がある。それは修正することができるということ。これはスピリチュアルを学んでいない人との大きな違いでもあり、人生を歩む上で、目立たないけども、とても大きなアドバンテージでもあります。特に30-40代はめまぐるしいですから、よけい「早くこれを知っておけばよかった」と思う羽目になるかもしれません。 自らを修正することはすごく難しいことです。でも、スピリチュアルで「世界は自己修復次第で大きく変わる」と知ったらどうなりますか? 世界は恐ろしく安定的で平和な世界になる。自分が発信する周波数を変えれば、現実のホログラムも当然違ったレスポンドを返してくる。合わせ鏡の原則が働くから。 スピリチュアルリーダーのミッションは様々な種類に分かれます。しかしその多くは平和につながっている。しかしなんの? それは「心の平和」です。 スピリチュアルを無駄にしないために知っておくとよいことは、自分を変えることはできるということです。多くの偉人たちが共通して言うのは「自分を生きることと、世界は同じこと」と言います。その意味は、勉強できます。勉強したからと言って実施できるかどうかは保証できませんが、少なくとも勉強できるところはほぼ皆無。まして日常から少し距離を置いて客観的に知る機会など21世紀初頭の少なくとも日本ではほぼ毛頭ありません。 チャネリングはクエリーに対するレスポンドだとこのコラムで教えました。別にコラムじゃなくても授業でも同じことを言います。何ももったいぶる必要はない。全人類が今すぐにでも知った方がいい事柄だから。 イエスがいったように、「汝の敵を愛せ」。なぜ? その敵は自分だからです。厳密に言えば、自分の中にある闇の部分だからです。これはゲームの話じゃありません。むしろ心理学に近い。 仏教ですべての人に仏は宿るという言葉がある通り、宗教外のスピ的にも同じことが言える。「すべての人に神は宿り得る」。なぜなら自分の心の中の神に気づくからです。間接的に、外部に投影することになるでしょう。宗教めいた言い方をすれば、「神の御光と導き」を現実にその目で見ることになる。 世界を構築しているのは紛れもなく自分の心です。それ故、世界に対する信頼感が人生の成功における最大のKSFになっています。なぜなら「変えることができる」と無条件に信じることができなければ、何もアクションを起こそうなどと思いません。自分の行動が現実を変えることに変わりはありません。しかし、通常メタ認知をすることは容易ではないのです。だから瞑想して意識や思考を敢えて閉ざす。目に見えるものに頼らずに生きることで、反って目に見える世界すらも修復できるようにする。 おそらくそれができる(発見できる、洞察ともいう)までは苦痛しかないですよ。Pain,Pain,Painの繰り返し。みなさんがこれまで感じてきたのはそれです。取引で失敗したり、裁判をしたりといったことで落胆することが多いのは「自らを変えることで世界は応えてくれる」ことに気づかないからです。 でもスピリチュアルを勉強している人たちは、・・・特に努力値の高い方は・・・ある時気づきます。この痛みは自分の中にあったものなんだったんだと、瞑想したり、チャネリングをすることで気づくんです。チャネリングできない人よりも圧倒的なスピードで。だからスピリチュアルを学ぶとそうでない人よりも指数関数的な成長曲線を描いて人格成長が早まるという表現をしているんです。 それはまるでチャイコフスキーか、モーツァルトのようだと言いたいところですが分かる人がまるでいなさそうなので、わかり易くいうなればButterfly-effectだと言っておきましょう。それに宇宙は思考する。 自分と、宇宙との間に瞑想によってセッションを開始すること。それが自分の中に神を宿らせるヒントになっているんです。 ほとんどの人が、自分の居場所がわからずに泣いている。 では自分の心の中に宿る神が示してくださるのは何かということですがそれは「許し」です。許しは業の終わりを意味します。 業が終われば現実が変わる。みんながいう「奇跡」とはそのことを云っているんです。これまでローマ教皇(パパ)が人類に口伝してきたことはそういうこと。 許しは奇跡の証なんです。キリスト教がなぜユダヤ教から派生してここまで広がったか? それは信憑性が高いしみんなが内心望んでいることだから。 じゃあ許しってなんなのか。「あなたは全て。あなたはそこにいてにこにこしてていいんだよ」という意味です。その許しの行為を「愛」という。全部聖書の書いてある通り。宗教の枠を超えて知らなければならないことはそういうこと。悲しみをぬぐい人にその許しの秘跡を教えたくてイエスは血を流された・・・信徒以外にとってはまるで神話のようですがこれは本当です。 すべてを許すということは、自分を許すということ。 そこからその人の本当の人生が始まる。 …
