ヒーリング&メディテーションの人間にとっての重要性 Guten abend, meine Damen und Herren. ラファエルです。 お久しぶりですが、みなさんお元気でお過ごしでしょうか。 今日は、このサイトが初めてPV999、UU100を達成したことを記念し、 ちょっと特別な記事を書こうと思います。 なぜなら、私たちが公に出るのが久しぶりだからです。 私に至っては受講開始後のこの1000日間、ほぼずっと修行モードでしたからね。 (今ある種の上級クラス修了試験をやっているところ) 千日修行を終えてみての感想も踏まえて皆さんにレポートしていきたいと思います。 何をかといえば、私自身が感じた、スピリチュアル教養の大切さについてです。 いつもながら左脳派スピリチュアルなのは理系ならではのご愛敬ということで。今日もよろしくお願いします! 1.生きることを学ぶのがスピリチュアルの本分であり本質 ヒーリングによる問題解決も重要ですが、実際にはそれはスピリチュアルの本質ではありません。むしろ、問題解決はヒーリングから派生した結果の一つにすぎません。このことがわからなくなると、技術至上主義に入りがちですし、官僚主義になりがちです。 私たちは普段、自由と共生協働運動の間でたくさんの矛盾に出逢います。例えば会社に行けば上司が指揮を執り、実行します。 子どもがいれば、本当は今すぐにでも海外旅行したくても、二の足を踏んだり、パートナーと食事に行きたくても日本の場合はアジアやヨーロッパ程お手伝いさん文化が浸透していないために行けなかったり、色々あります。 私たちスピリチュアルリーダーがやることは、文明を進化させることで違いありません。リーダーになる人はみんなそうです。そして通常はスピリチュアル以外にもいろんなスキルを持っていますし、普通に会社で働いていることもよくあります。 ただスピリチュアルを学んでいない人たちと違う点は、目に見える世界と、目に見えない世界を合わせ鏡のように見ながら物事を選んでいるっていうことくらい。両方の目線から物事を考えることが多いです。 そして最近私もそうなのですが、段々、目に見える世界になんらの根拠もないことがわかってきます。物理世界で何かやったところで、付け焼刃なのも経験的によく知っています。 どういうことか? 人間の意識が干渉している世界などほんの微塵にも満たないという事です。それがわかっていて初めて努力の価値が分かるともいえます。何を努力するのかといえば、理想と現実のギャップを埋める努力です。これは、スピリチュアルをやっている人じゃないとわからないかもしれません。てっきり、何の努力もしないですいすい生きていけるようになるのがスピリチュアルだと誤認されていますが、そうではありません。 本当の理想の姿を知り、その上で現実での取捨選択をすることが、スピリチュアルリーダーとそうでない人の違いです。ほんのわずかの違いですが、それが彼らの人生を決めています。 よく考えずに行動する人も居ます。よく考えてから行動する人もいます。しかしスピリチュアルを学んでいる人たちには到底かないません、おそらく無理でしょう。なぜならこの世界は考えても1mmもわからないことが多すぎるからです。もっとはっきりと言えばそもそも自然界はコントロール不能だからです。 たとえば磁力線を見せろと言ってもわからないのと同じことです。そこに磁力線があると分かっていればその視野と方向によって磁界の原点や大きさまで測れます。しかし今の人類では機械なしにそれを把握することはほとんど現実的ではありません。 スピリチュアルを学んでいる人たちはその磁力線が描ける側の人間なんです。それが学んでいる人と学んでいない人の大きな違い。方向性、視点、広さまでわかっている。そこから目標地点までの距離まで大体目分量ですが推し量れるというアドバンテージを得ているんです。だからみんな今この瞬間も、弊校のオンラインコースでスピリチュアルを勉強しているんですね。 磁力線が描けると言えばそれがどのくらいのアドバンテージだか、どの程度の威力なのかお分かりになると思います。手当たり次第に砂鉄をばら撒かなくて済むという意味です。人生でも同じことが言えます。 航行は航行図がなくてもある程度の勘と星空が見えていれば、そして月の満ち欠けや高さから時間を想定できればなんとなく方向性がわかります。しかし人生においてほとんどの場合航行図はおろか高さや時間すら目に見えません。 磁力線が敷けるアドバンテージがここにあります。 スピリチュアルを学んでいない人はここがわからないから乱心するんです。見誤ったり、道を外したりしてしまう。道がわからないし、歩き方も覚束ないまま。暗闇の中で心の内に宿るその御光を自ら見出すまでは自力救済しかありません。恐らく人生経験を積んだ方ならわかると思いますが、それが非常に困難であることを知っていて、しかもどうしようもないこともよくわかっています。だから多くの人は、patient, 忍耐するか、なかったことにするか、諦めて放棄するか、罵声を浴びせるか批判するくらいしか選択肢がありません。ところがスピリチュアルを勉強した人であれば、違う選択肢があります。 「何がそうさせたのかを解明する」という選択肢です。 ニュートンリングなら目に見えるでしょうし原理の説明も比較的容易です。しかし統合失調症の裏側にかくされたトラウマを探し出すのは容易なことではないんです。そうなるとしかるべき処方は薬理療法といった対症療法だけです。でもそれでは根本解決したことにはなりませんよね。 それと同じことが人生においても起こります。離婚、破産、脅迫、いろんな脅威から身を守りながら生きていかなければならない。これは地球のように比較的原始的な文明社会ではよくある光景です。他の惑星系でも勿論こういったケースはよくあります。 しかし慢性的な不調を対症療法ではなく文明の発達と共に保存療法に切り替えていくのと同じように、人生でも対症療法をやめて保存療法に変えることもできるんです。すなわち、瞑想と透視です。 透視は正直、教えるのはかなりはばかられるものがありますが、訓練を積めば誰にでも可能です。基本モデルはすべてチャネリングだからです。しかしそれが厄介で、弓道と同じで型を覚えないといざという時は使いこなせん。従って一定の訓練が必要だという理屈になるわけです。 ではなぜ瞑想や透視が保存療法と同じに例えられるのか追ってみていきましょう。 2.深い瞑想、その先にあるのは透視 人は実に多量の記憶を抱えています。ヒトゲノムの研究をしている方なら想像ができると思います。なんて膨大な量の記憶なんだろうって。小宇宙と云われるのも納得です。 最近、脳は代数的位相幾何学(所謂トポロジー。トポロジーの歴史自体はそう新しくもないが)のアプローチで11次元体だったことが発表されたのも記憶に新しいですが、もう少し前に11次元宇宙についての研究がなされていたことも記憶に新しいですね。ちょっと前まではブラックホールも含めてスーパーナチュラルとてっきり思っていたことが実は日常的な自然現象に影響を大きく及ぼしていることが徐々に発覚しています。(それを見つけた研究チームがローザンヌというのも非常に面白いです) そう、とにかく自然なことというのは人間の創造の遥か上を歩いているということ。そして、人間が記憶と錯覚していることについても少しずつですが解明されていくと思います。 人が瞑想しているときにまずやることは、意識を鎮める事です。意識を鎮めることで聞くつもりのなかった声を聴いて、話すつもりのなかった話をすることです。とにかく「つもり」を捨てて、つまり自我を捨てることで、自分以外の意識に目覚めることです(深い瞑想がもたらすのは、平たく言えば半意識下に眠っていた情報を呼び覚ますことです)。 普段人が口にしてモノを考えているときは脳や遺伝子はほとんど使われていません。正直これはほとんど昏睡状態に近いと思っても良いと思います。ほんのわずかな能力を使って人は日常を<やり過ごしている>と言っても過言ではありません。 …