3.世界に出る事とスピリチュアルの関係性とは
まず、スピリチュアルを学んだことがない方が知っておくべきことは、スピリチュアルを学ぶという事は自己表現について学ぶという意味です。
もう一つは、皆さんが地上を今生きているのは信じるものを信じて生きている喜びを実感するためです。これもスピリチュアルの基礎理論で初学者が最初に学ぶことです。
ふたつ掛け合わせるとどうなるか? そう、世界に出る事になりますよね。
なぜ? 世界と自分との関わりの中の間での出来事は全てスピリチュアルによって調整されるからです。
物理でも精神を調整することは当然できますがそれも精神世界がどうなっているかのメカニズムが分からなければ理論上どうしようもありませんよね。
反対に精神世界のメカニズムもわからなければ物理化している次元の調整など程遠いわけですが。もし精神次元のメカニズムを理解していたら物理次元の調整もできると思いませんか。
言い換えればメカニズムさえわかっていれば物理で精神も調整できるということです。(できる、というだけでするかどうかは本人の自制次第)
それと世界に出る事と何が関係あるかって、ここからが大事なことなんですが、実は精神世界の広がりが物理次元の広がりなんです。
厳密にいうと、これは上級クラスで教えていることなんですが、精神世界が反映されている規模(割合)も関係しています。
実は精神世界の広がりが100だとして、物理次元への反映率が10%だとしたら物理次元の世界の広がり(実現率と言ったりもしますが狭義すぎて語弊を生むのであまり言わない)も10だということです。
4.世界の広がりはどこから?
コンフォートゾーンから抜け出して人生を変えるという試みを映した映像がYoutube界隈ですごく話題になった時がありましたが、これはスピリチュアル的には大正解です。例外的にコンフォートゾーンから抜け出せない自閉症気質の方もいらっしゃいますが、基本的にほとんどの方はむしろめちゃくちゃ幸せホルモンでるはずで、しかも大抵はたった1つか2つの新しい行動を加えるだけで実現できます。
よく、日本は多様性がないから衰退したと文化学者などは指摘しますが、あれは正に日本人特有の内向的な気質が文明の衰退を招いたと社会学・経済学的にもいえますが、精神世界でもやはり左様の見解です。
そしてそれの原因は、
①精神世界の開放をそもそも今はほとんど誰もしていない。
→現代日本には仏教も神道も(観光資源として物理的には残っているが)ほぼ現存していないから当然と言えば当然ですね。実際、エネルギーワークをやっているワーカーさんは現在ではほとんどいないと思います。ローマやバチカンなどではまだ相変わらずエネルギーワーカ―さんがいるので、ホールドしやすいのですが。そこは日本がいつまでも文明化できない一つの大きな原因になっていますね。
②自分が目に見える範囲より外の世界にそもそも触れていない。
→たとえば同じ地域から出ない、頑なに引っ越さない、など。これは物理次元に拘り過ぎて精神を束縛しているのと同様の体験をしているんです。
③勉強しない。
→勉強も世界を拡げる一番簡単な方法です。反対に、一般論にすぎませんがそもそも社会生活を営む上では勉強はしておかないと生きること自体がそもそも苦痛なはずですから、一応受講する方はそれなりに勉強しているのが前提と捉えています。ただし、基本的に勉強で精神世界ができるのは基本的にはケンブリッジ大学とかジュネーヴ大学や芸大にでも行っている人たちくらいです。大学の一般教養(経済学、社会学など)リベラルアーツで学んでいるのが一つの基準です。
勿論、これはみんながみんなそうだというよりは、日本が衰退した背景としてあくまで社会の風潮としてこういう傾向にあったというだけのことで、多分上記3つともやってきた方はそもそも既に世界に出ていますので案ずる必要はないです。
(多分3つともやった方はカナダやイギリス、ニュージーなどに移住した方が多いはずです。読んでる方、この辺に心当たりあると思います)
だから反対に
① 精神世界の開放をする。
② 自分が目に見える範囲に拘らない。
③ 勉強をする。
の3要素が揃うともう世界に出始めるんですね。余程重度の自閉症スペクトラムなどない限りはです。
5.世界の広がりがその人の喜びと比例している。
ここからが大事なことで、もう当初の出世という話から随分離れてしまいましたが、世界に行くという事は、その人の人生が一気に開ける事と関係が深いんです。
世界が開けるという事は、その分喜びも増えるということです。そもそも私たちは喜ぶために生まれていますので、目的が達成された喜びもあるからです。
精神世界の反映率が喜びの高さと言っても過言ではありません。精神世界で喜びを創るのは意外と容易い事です。しかしそれを物理化して、しかも実感できるようにするのには一仕事要ります。でもだからこそ生き甲斐があるということでもあるんです。
それが実現した時の喜びといったら、たまりません。しかしこれがもし、(物理ないし精神)世界が狭くて、喜びの数や種類が少なかったとしたら?
ちなみに・・・上手くいっている人ほど移動距離が半端じゃないのもそのせいなんですよー!
社会的に上手くいくとみなさん1万キロ単位で移動しますでしょう?なんせドイツまでが9,000kmですからね。実は出世する人というのはみんな精神世界が広くて物理化の割合も比較的高めな高位クラスの霊格の人が多いんです。
そのため、ややざっくりではありますがその人の霊格の位やどれだけ苦難と向き合って浄化されてきたか(カルマを落としてきたか)を出会った時からその人の普段の移動距離や行動範囲で概算で計れます。(勿論霊格が高くても浄化やヒーリングされておらず行動範囲が狭い人も結構いますが、それも含めて測れるという事を指しています)
最近は日本企業でも採用基準が国際経験で測るようになりましたが、それは合ってるんです。
例えば私たちはリトアニアやルクセンブルクに行ったことがある人を最初に警戒しません。ボンにいきましたとか、ザクセンにいきましたとか、ルッカに行きましたと言う人は今がどういう地位であれ、かなり純粋で努力家な証拠。つまり、将来的には社会的に地位が高くなる傾向=出世する傾向があります。
これはスピ的な判断知識の一つなんです。だからといって全部許容するとは言いませんが、スピリチュアルやってる人は、普段の移動距離を聴いて「とりあえず努力してきたんだなあ」くらいには思うわけです。逆にずっと同じ地域から出たことがないなどは、「余程何かあるな」とちょっと身構えるわけですね。それが東京や香港であったとしてもです。
要するに一般的には普段移動距離が短い人や、行動範囲が狭い場合、ヒーリングする必要がある範囲や量、勉強しなければならない量が反比例してとにかく多い傾向がある、ということです。むしろスピのプロたちは「なぜ狭くなったのか?」という考え方をするんですね。
それはそうと、話をまとめると、その人の行動範囲と喜びの量はとにかく比例しているんですね。
精神世界での喜びの幅が広い事と、それが物理化する量が多いからです。しかも自分が持っている精神世界の広さと、自分の行動範囲の広さは確実に比例するんです。
言い換えれば、世界に出るということは、イコールその人がしっかりと精神世界を開放していて、しかもちゃんと精神と物理をシンクロできているということを証明していますから、まずまず成功しているといえます。反対に行動範囲が広がっていない場合は何か浄化しなければならない致命的な見落としがある、といえるわけです。
スピリチュアルを学んでいると精神世界は整っていきますし、広がり、ましてヒーリングすれば反映率が高まりますから、行動範囲が広がるのが正常な状態なんです。
なぜじゃあスピリチュアルを学んでいるのに狭まるケースがあるかといえばスピリチュアルを学べば学ぶほど純粋になっていくからです。要は不純物が減っていくがゆえに、いい面も悪い面もくっきりと出てきてしまうんですね。だからスピリチュアルを学んだからと言って全部がオッケーかというとそれはありえない。
ちゃんとヒーリングも常にしないといけないのは、学んでない人と同列です。。が、普通はヒーリングやチャネリングをしていると収入が増えるので、ヒーリングを頼んだところで困ることはないはずで、ヒーリングを受けなかった場合の機会ロスの方が半端じゃないんですね。これは、ヒーリングを体験してきた人じゃないとわからないかもしれませんが。
6.まとめ
出世という言葉自体が死語と思われてしまいがちですが、世界に出るという定義に代えたとした場合はむしろ逆に、これからアセンションした地球ではディファクトスタンダードです。
私たちは肉体を持っている=物理化しているわけで、その理由は実に単純で、喜びを実感したいからです。
フランス人の口癖みたいな話ですがこれはスピリチュアル的には本当です。だから、喜びから離れれば離れるほど苦しいんです。苦しいという事は、喜びから離れようとしている一種のサインなんですね。
喜びに目覚めて、世界に目覚めましょう。
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The next right thing.